1996年9月、日本中が大興奮した。あの、あの、Michael Jordanが初来日を遂げたのだ。NIKEが主催した"NIKE HOOP HEROES"で、NIKE契約プレイヤー数人と共に日本を訪れ、横浜アリーナでのイベントやゴルフ、取材、テレビ番組出演と日本で数日を過ごした。横浜アリーナでは、ミニゲームの他に、MJと1on1をする企画もあり、UNCのジャージを着た1人の少年はMJと対決する夢の様な時間を過ごした。その時の少年は特別な体験をしっかりと彼の人生の糧にする。年齢を重ね、アメリカ留学でバスケットボールの技術を積み、現在ではB.LEAGUEのプロ選手となった。彼の名は松井啓十郎と言う。
ざっとまとめるとこんな感じ。
ンコのwebで松井さんのインタビューが載っているのでチェックしてみて。
3月25日に世界で2店舗目のJORDAN BRANDの専門店が渋谷にオープンしました。そのオープンにフックしたであろうAIR JORDAN 1がリリースされました。
【AIR JORDAN 1 LOW SE】#012
形はいわゆる"PHAT"のんだねー。
通称"TOKYO 96"と呼ばれている様です。
僕はなぜ"PHAT"がずっと存在続けるのか、理解出来なくって。LOW OGで良いじゃんと思ってるんだけど、ボトム層向けのMIDと対と考えれば、まぁ、そうかと。
元々の"PHAT"はスケボー向けとかカジュアル履き向けにシュータンとかライニングを厚くしたモノ。PHAT→FAT→おデブちゃんってことね。
↑の松井さんのストーリーにフックしたカラーリング。
前足部はUNCのスクールカラー。
スウッシュにはAIR JORDAN 12の補強パーツのイメージを投影しているんだって。
ちなみに"NIKE HOOP HEROES"でMJがAIR JORDAN 12を初披露したのは有名な話。AIR JORDAN 11が爆発的ヒットした後だし、Boonのムック本でスクープされた最悪の解像度の写真でざわついていたから、シレッとMJが履いたAIR JORDAN 12には世界中から注目を集めたのよ。
タンのウレタン剥き出し、
タンタグのカスレ加工、
ミッドソールの経年加工と
エイジングが施された仕様になっています。
僕は華麗にスルー!のつもりだったのよ。"PHAT"だし。
でも、青森でのっけ丼を食べている時に、限定オファーが携帯に通知されていて。そんなオファー滅多に来ないからさ、ありがたくクリックさせて頂きました。
この素材、このカラーリングのOGならもっと人気出たんじゃないかと。
または、松井さんが履いていた11とMJの12のパック・・・、ごめん、発想が「コレジオンヌ」だ。(笑)
スタイルは別にして、良い佇まいですねー。
うん、
AIR JORDAN最高ーっ!!
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