2006年3月7日のポン日記を再掲します。
ちょっとした「流れ」を説明するのに必要だからね。
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現場仕事では必ずスニーカーを履きます。ネクタイもしません。これが僕のスタイル。
本日、チョイスしたのが、AIR JORDAN V(以下、AJ V)。
このAJ Vには、ちょっとした思い出があってね・・・。
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今からおよそ16年前の1990年夏。
ちょうど高校3年生の時だ。
東北大会も終わり、部活動を引退。さぁ、これから受験まっしぐらって時に、兄上から貰ったのがAJ V。
この当時は、ブラックカルチャー全盛時期。アメリカでは、スパイク・リーが映画"DO THE RIGHT THING"で、ブラックに絶大なる人気があったAIR JORDAN IVを大映しするなど、音楽やファッションも含めて、この映画は遠方の小国にも多大なる影響を及ぼしたんです。スニーカーが大きく取り上げられることって今まで無かったし・・・。
ほら、ブラザーとかシスターなんて呼ばれる人達がいたり、ダンス甲子園とかMCハマーなんかも流行りましたね。
アメリカではバッシュを"KICKS"と呼び、当時のNBAのスタープレイヤーのモデルをこぞって履き、スポーツとストリートが融合しだした、そんな時期です。
そこでのHEROは、当然、AIR JORDAN!日本では少し遅れてAJ Vから火が点きましたね。スニーカーブーム到来です。よく知られているAIR MAXに代表されるスニーカーブームはこれから約5年後(1995〜1996年)の未来の話になります。
僕、バスケやってたし、AIR JORDANはもう憧れの的だったんですね。
どうしてもAJ Vが欲しかった!!
当時、どんなやりとりがあったかは忘れちゃったけど、ある夏の日、兄上から小包が届きました。中身はAJ V!!
もう飛び上がるほど嬉しかったなぁ!!!
んで、兄上から言われた一言・・・、
「現役で大学合格出来なかったら没収だからな!」
その時は、秋に母上が亡くなるなんて、思いもしなかったから、その条件をのみましたよ、えぇ。
11月に母上が亡くなり、周りはもう浪人しても良いという雰囲気が流れました。きっと兄上も同じ気持ちだったと思います。
当時、どんな思いで受験勉強してたかなんて、もう覚えていないけど、モチベーションの一つに『AJ V没収!』があったことは間違いないね・・・。
受験会場に行った時もAJ Vを履きました!
結果、
見事、現役合格して、没収されず、現在もちゃんと大切に持っていますよ!
もう履けなくなったけど、その時の一踏み一踏みが思い出だもんね。
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今日履いたAJ Vは6年程前に復刻したものです。
仕事しながらのひと踏み、ひと踏みが、そんな昔の思い出を甦らせてくれました。
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